鴫原ひなた「今季のチームは今まで一番誇らしい、自慢したくなるいいチーム」

「キャプテンとしてもっとできることがある」
7年目のシーズンも、間もなくレギュラーラウンドが終わる。最終節、そしてチャンピオンシップへ向け、主将の鴫原ひなたは“クインシーズ愛”を噛みしめる。
「今までもいろんなスタッフ、チームメイトと一緒にやってきて、その人たちも大好きだし、素晴らしい方ばっかりだったんですけど、今シーズンはより一層、すごくいいチームだと感じていて。それがみんなの表情からも伝わってくるので、すごく誇らしいし、みんなに自慢したくなるチームだな、って思うんです」
コートに立つ選手だけでなく、紛れもなく、クインシーズ刈谷という1つのチームで戦えている。だから楽しいし、嬉しいし、負けると悔しい。
ウィングアリーナ刈谷で埼玉上尾メディックスと戦い、連敗を喫した直後はまさにそう。1日目はストレートで、2日目はフルセットで敗れ、ホームゲームに来てくれた人たちと一緒に勝利を味わうこともできなかった。もっともっと、自分にできたことがあるのではないか。鴫原は自分に矢印を向けていた。
「めちゃくちゃ反省しているんです。相手は(チャンピオンシップ進出をかけて)絶対に負けられない緊張感を持って戦い続けてきた中で、自分たちは(チャンピオンシップが決まって)嬉しいけど安心した部分もどこかにあった。そこを自分が鼓舞しなければいけなかったのに、できなかった。もっといろんなことをやるべきだったし、できたことがある、と思えば思うほどもどかしくて。ファイナルの前にこういう学びの機会があったのはいいことだと思うんですけど、負ける前に気づかないといけなかった。でも、後ろ向きになるんじゃなく、前向きに行きたいし、行かなきゃ、って思っています」
よくも悪くもこの性格が短所で長所。愛すべきチームのキャプテンは、何より愛される人でもある。
古川学園入学を決意させた家族会議と「隣のヤンキーくん」

福島県二本松市出身、幼い頃は「溺れないように」と始めた水泳と近所の神社で書道を習い、3年生からは幼なじみに誘われてバレーボールを始めた。
東京や愛知、大阪といった大都市とは異なり、鴫原が育った二本松では「スポーツのクラブに入る」といっても選択肢はそこまで多くない。むしろ女子ならばバレーボール、男子は野球、と限られた選択肢しかなく、自ら望んで始めたわけではない。それどころか、当時は「保育士になりたい」という夢もあったので、4年生からはピアノも習っていた。身長が高かったこともあり、中学でもそのままバレーボール部に入ったが、勝つことが目標ではなく、楽しくバレーボールを続けることが最優先。仲の良い友人たちとバレーボールをして、県大会に出場する。ベスト8に入れば十分、と思っていたが、3年生になると人を介して縁が生まれ、東北の強豪、宮城の古川学園から声がかかった。
もしも全国制覇を夢見るような選手だったら、願ってもいない機会だ。だが、鴫原の場合は違った。
「髪の毛をめちゃくちゃ短くしなければいけないし、親元を離れるのも嫌だった。何でバレーボールのために青春を捨てなきゃいけないの? って思っていたから、最初は行きたくなかったんです」
宮城まで行かなくても、福島県内にも全国大会出場を重ねる高校はある。特にその頃、鴫原が憧れたのが郡山女子大付高だった。3姉妹で現在もSVリーグで活躍する目黒優佳(大阪マーヴェラス)、安希(埼玉上尾)、愛梨(信州ブリリアントアリーズ)の出身校で、髪型もショートヘアではあるが肩につくかつかないか、という長さのショートボブで、鴫原は「すごくかわいい印象が強かった」というように、自分もここでやってみたい、と憧れた。二本松から郡山ならさほど遠くもなく、親元を離れずに通えるのも魅力だった。
だが、両親や中学の先生からは「厳しい環境でいろいろな経験をしたほうが糧になる」と古川学園への進学を進められた。気が進まない鴫原を説得するために、家族会議を開き古川学園と郡山女子大付、それぞれに行くメリットとデメリットを付箋に書いて貼り付けた。その結果、「古川に行くほうがメリットも多いでしょ」と説かれ、半ばふてくされながら「じゃあ行くよ」と言ったが気持ちが決まったわけではない。
本当の意味で覚悟が決まったのは、意外な人の何げなく発したひと言だった。

「(中学の)となりの席に座っていた子がちょっとヤンキーくんだったんです。その子が突然、『人生はつらいことを経験しないと強くなれないよな』と言ってきて。え、やっぱりそうなの?となぜかその時の自分にはその言葉が沁みた(笑)。不安はあるけれど、強くなるために古川へ行こう、と決めました」
全国から選手が集まる強豪校だ。楽しむことを第一にバレーボールをやってきた自分が試合に出られるはずがないし、3年間コートに立つことができなくても不思議ではないと思っていたが、1年時から出場機会を得た。「ヘタクソでもみんながサポートしてくれた」と鴫原は笑うが、厳しい練習や強豪相手の試合、さまざまな経験を重ねてできることも増えていく。本来ならばそれこそがスポーツの楽しさでもあるはずだが、全国制覇や勝つことを目標に掲げ、髪型だけでなく眉毛が伸びてもカットすらできず、携帯電話の所持を禁止されるなど、生活面の制限もあった。バレーボールに集中できる環境、とプラスにとらえることはできたが、当時は楽しさよりも苦しさを感じることのほうが多かった、と振り返り、だからこそ、と鴫原が言う。
「もし今の自分が当時の自分に言葉をかけてあげることができるなら、『もっと楽しんでいいんだよ』と言ってあげたい。日本一を取ったり、三冠したりしている人たちもたくさんいるから、本当にすごいな、って思うんですけど、もしも私が(日本一や三冠を)達成していたら、たぶんその時点で燃え尽きていました。高校では求められた結果が出せなくて、それがすごく苦しかったけれど、バレー人生の中で見てみたい景色があるから、今も頑張れていると思うんです」
卒業後は大学へ進学しようと思っていた。だが、ここでも人の縁や偶然がつながり、鴫原はクインシーズへと導かれて行った。
デビュー戦は開幕スタメン「緊張して涙が出た」

わからないことがあればスマートフォンで調べられる便利な時代。だが、当時の鴫原は携帯電話を持っていない。大学へ進むといっても、どこにどんな学部があるのか。何もわからなかった高校3年の時、突然高校の監督から進路の選択肢として告げられたのが「トヨタ車体」という初めて聞くチームの名前だった。
え?トヨタ車体?何?そもそもどこ?頭の中でいくつもクエスチョンマークが並んだが、まずは一度練習見学へ行くように、と言われ、何もわからないまま参加した。自分よりもずっと年齢やキャリアの上の人たちがプレーする中に、本当に入れるのか。想像もできなかったが、ひそかに抱く夢もあった。
「小学生の頃は保育士さんや教員になりたいと思っていたけど、実はバレーボール選手になりたいという夢もあって。(小学)4年生の担任の先生から『夢は書いたほうがいいよ』と言われたので『超一流のバレー選手になりたい』と書いて壁に貼りました。今考えると、よく“超一流”なんて書いたな、って思いますけどね(笑)。もともと私は思っていても言えないタイプなんですけど、自分にはないと思っていたチャンスに恵まれた。エリートと言えるような人生じゃなかったですけど、いろんな縁がつながって、バレーボール選手になることができました」

高校に入学する時以上に「自分が試合に出られるはずがない」と思っていたが、高いレベルの中で練習や経験を重ね、どれだけ成長できるのか。入社前からワクワクしていた。
チームメイトには日本代表でも活躍する荒木絵里香や内瀬戸真実(埼玉上尾)もいて、失敗してもカバーしてくれるだけでなく、励ましてくれる「優しいお姉さんたちばかりの中で甘えて来た」と笑う。初めてのVリーグ開幕が近づいてきても気負いはなかったが、その前日、スターティングメンバーとして自分の名前が呼ばれた。そもそもVリーグが何たるかもまだ本当の意味では理解すらできていないのに、いきなりの開幕スタメン。大抜擢に、心が震えるだけでなく、一気に押し寄せた緊張に押しつぶされそうで、気づけば涙が出た。
「そういう私のことも、周りで励ましてくれるお姉さんたちばかりだったので、不安もあったけど試合が始まる時は安心してコートに立つことができました。自分のプレーがどうだったかなんて何も覚えていないですけど(笑)、開幕戦を勝つことができてすごく嬉しくて、ホッとしたのは覚えています」
とはいえ国内最高峰リーグだ。越えるべき壁はどんどん高く、分厚くなる。最初は決まったスパイクも、試合を重ねればデータが取られ、得意なコースにはブロックやレシーブが入って簡単には決まらない。
「スパイクコースは一択しかなかったので、打てばブロックされるけれど何でブロックされるのかがわからない。ミスをしても何でミスになるのかがわからないから、試合で修正できない。崩れたらそのまま終わるだけ。そのまま行ける時もあるけれど、行けなかったらどうしよう、と思うだけで策がない私を助けてくれたのがネル(藪田美穂子)さんでした。みんなが助けて、支えてくれたおかげで成長できるきっかけをもらえた。今思い返しても、すごく幸せだったと思いますね」
バレーボールとチームへの向き合い方を変えた17連敗

勝てる時もあれば、負ける時もある。うまくいかずにどうしていいかわからないこともある。さまざまな経験を重ねて来た中、鴫原にとって「忘れられない」シーズンが3年目の2021-22シーズンだ。開幕から黒星が続き、気づけばこの年、クインシーズは17連敗を喫した。
新入団選手が7名、高校時代から活躍してきた選手の中には鴫原と同じアウトサイドヒッターの選手も多くいた。このまま成長できなければポジションがなくなる、と危機感を覚え「ひと皮むけたい」と焦っていたが、空回りして試合でミスを連発。3年目でこんなプレーをしていたらレギュラーとして試合に出られるどころか、バレーボールを辞めることになるかもしれない。考えれば考えるほどマイナス思考が先行し、試合で結果も出ない。必死に状況を打開しようと奮闘する若手選手と自分を比較して落ち込んでばかりいたが、長いトンネルを越え、ようやく1勝をつかめた時の喜びはひとしおだった。

「それまでは自分のことばかり考えていたんです。でも、大事なのは自分のプレーではなくて、どれだけ誰かのためにプレーして、助けることができるか。その時にバレーボールとの向き合い方、自分の人生の中でのバレーボールの在り方が変わった。人と人のつながりでうまくいくこともあれば、いかないこともある。でもうまくいかない時にも寄り添ってくれる人がいて、自分の弱みもさらけ出しながらみんなで力を達成できるのが何て素晴らしいことなのか。心の底からバレーボールって面白い、と思えた。あの年から、より一層、クインシーズが大好きになったし、それからはずっとクインシーズ愛が溢れて、どんどん深くなった。このいいチームをいかにたくさんの人に知ってもらうか、ということばかり考えています」
コートの中も、コートの外も、選手もスタッフもファンもみんながクインシーズ刈谷という1つの大きな愛すべきチーム。だからこそ願い、誓う。
「一緒に戦って、喜んで、悔しがって、全力で支える。クインシーズはいつだって、それが当たり前にできるチームで、私はそれこそがチームスポーツの一番魅力で大事なところだと思うから、見て下さる方々にも伝わっていたら嬉しい。最後の最後まで、諦めずに全力を出し切りたいです」
クインシーズ愛を全員で分かち合う。今季最高のラストシーンへ向けて、走り続けていくだけだ。

取材・文:田中 夕子


