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#4笠井季璃 「どんな時も下を向かずに。今この経験が自分を強くする」

31年ぶりのセンターコート

憧れの舞台に立った時、心だけでなく手足も震えた。

それでもいつも通り、笠井季璃は一礼してからコートに入り、満員の東京体育館のスタンドを見渡す。今も忘れもしない2024年1月7日、高校最後の春高バレー。旭川実業を31年ぶりにベスト4へ導いた大エースでチームの主将。連戦で身体はボロボロだったが、高校生バレーボール選手ならば誰もが憧れるこの場所で戦える喜びを噛みしめながら、笠井はチームメイトに声をかけた。

「最後まで楽しもう」

早いものであれから2年が過ぎた。今でも春高の時期になれば心が震え、オレンジのセンターコートを目指した日々を鮮やかに思い出す。あの頃と同じように、今も目指す場所が高ければ高いほど、越えなければならない壁も高く、分厚い。

でも、ひるんでいる暇はない。

「高校の時には決められたスパイクも、SVリーグでは簡単に決まらない。うまくいかないことが出てくるたびに、その都度葛藤するんですけど、でも今、こうして経験できていること自体がすごく大事だし、うまくいくばかりじゃないからこそ、この経験が幸せだと思うんです」

できないことがあっても、できるようになるまで一生懸命練習して壁を乗り越える。幼い頃からずっと、笠井はそうやって生きて来た。

 

「頑張れば北海道選抜に選ばれるよ」の言葉に号泣

豪雪の北海道、生まれ育った別海町はスピードスケートが盛んで、人口1万人の小さな町でありながら、4名の五輪選手を輩出した。当然、幼い頃の笠井も類に漏れずスケートに熱中する時代があった。

「おばあちゃんと町のリンクへ行って、一切しゃべりもせずただひたすら黙々と3時間ぐらい滑り続けていました。一時期は本気でプロが使うスラップスケートが欲しくて、買ってもらおうと思うぐらいハマっていたし、バレーじゃなく、スケートの道に進む可能性も十分ありました」

 スケートに加え、幼少期から中学2年までピアノも習っていた。そんな笠井がバレーボールに出会い、本格的にスタートしたのは小学3年生の頃。身長も高く、バスケットボールかバレーボールで迷い、自身はバスケットボールに心が傾いていたが、両親の勧めでバレーボールを選んだ。

 当時から大人に間違われることもあるほどの高身長と、身体能力の高さでセンターエースとして活躍。ひたすらブロックに跳び、すぐさま下がり、またひたすら打つ。「21点先取の1セットを1人で19点とったこともある」というのも決して大げさではないほど、後の姿にもつながる大エースとして活躍。そんな笠井にとって、真の転機が訪れたのは小学5年の時。北海道選抜でも指導にあたっていた中村香奈恵コーチにかけられた言葉が胸に刺さった。

「頑張ったら、北海道選抜に呼ばれる選手になれるよ」

 ただでさえ、中村コーチの指導を受けるようになってから技術が飛躍的に向上するのを実感していた。それだけでも十分楽しく、やりがいを感じていたのに、「頑張れば北海道選抜に行ける」という言葉は、笠井の心を奮い立たせた。

「練習が終わってから家への帰り道、お母さんが運転する車の中で号泣したんです。私はそこまでの選手じゃないと思っていたから、頑張ればそこまで行ける可能性があるんだ、と思ったら嬉しくて、嬉しくて。そこまで行けるように頑張ろう、と決めました」

 夢と目標だけでなくもう1つ、恩師は笠井の人生に大きく影響する出会いをもたらした。小学生の全国大会に向けた北海道予選に向け、複数チームが集まり練習試合が実施された。その会場になったのが、後に笠井が大エースとして活躍することとなる旭川実業高の体育館だった。

 力試しも兼ねて、当時身長が168センチあった笠井は高校の練習にも入れてもらった。実力差は大きかったが、それでも負けないようにとコートの中では必死にボールへ食らいつき、声を張り上げた。だがふと周りを見渡すと、高校生たちはコートの中だけでなくコートの外からも大きな声を出し続けて、ボールを追う仲間を鼓舞し合っていた。

「コートの外からも前のめりになって、声をかけて練習から応援し合う。こんなチームがあるんだ、すごい高校か、と胸を打たれたんです。いつか自分もここでバレーがしたい、と思ったし、それからずっと憧れでした」

 

「私が一番ヘタクソだ」

夢も憧れもできた。だがそれからも、しっかり壁にぶつかった。

最初は、小学校を卒業した直後の中学1年時に参加した長身者合宿。日本代表も合宿をする東京のナショナルトレーニングセンターへ全国から40名の選手が集まる中に、笠井もいた。小学生の頃は全国大会には届かなかったが、自分個人に目を向ければそれなりにできると思っていたが、小さな自信はいとも簡単に打ち砕かれた。

「そもそも練習についていけない。打力もないし、ボールを叩く時にミートもしない。ちょっと天狗になっていたんですけど(笑)、実際はこんなにできないの? とびっくりするぐらいボロボロだった。すぐに帰りたかったです(笑)」

それでも2年になると夢だった北海道選抜に選ばれ、初めて全国大会にも出場した。結果はベスト16だったが、全国に出れば自分よりうまい選手も力強いスパイクを打つ選手も山ほどいる。できないことに心折れている場合ではなく、「もっとうまくなって勝負したい」と笠井の心に火がついた。翌年も北海道選抜に選ばれ、卒業後は小学生の頃に憧れた旭川実業高へ。親元を離れる不安はあったが、あの場所でレベルアップするための日々が始まる、と思えば胸は震える。攻撃力の高さを買われ、1年時からレギュラーの座をつかんだが、挑むステージが上がればまたできないことも増えるし、下級生のうちからコートに立つ自分に対する周囲の目が気になり、練習が始まる前には不安と怖さで手足が震えた日もあった。

1つ越えればまた1つ、課題は増え続けて壁の高さや厚さは増すばかり。だが、越えれば新たな喜びや楽しさも見つかる。高校2年でU18日本代表候補に選出されたのも、笠井にこれ以上ないモチベーションを与えた。

選考合宿に参加する面々を見れば、金蘭会や下北沢成徳、全国制覇を経験した強豪校の選手がずらりと揃う。その中に入れば、北海道では多少名が通っていても周りからすれば「旭川実業ってどこ?」とたずねられるのが現実でもある。小学生や中学生の頃から全国大会や選抜チームに選ばれる経験を持ってきた選手たちの中で自分がアピールできる強みは何か。サーブやスパイクといった攻撃力だけでなく、練習時には大きな声を出して周囲を鼓舞することや、練習中に摂取するドリンクを用意すること。万全の準備をして臨むために誰よりも早く体育館へ来て、その日その日の練習で100%のベストを発揮し続けること。すべて数字や結果に直結するものではなかったが、誰でもできることだからこそ丁寧に。コートの中でも外でも少しずつでいいから信頼を勝ち取るべく努めた結果、最終12名に残っただけでなく、選手間で決めるキャプテンにも選ばれた。

初めて胸に日の丸をつけ、U18アジア選手権のコートに立った日のことを、今もはっきり覚えている。

「ユニフォームで君が代を歌う。私は日本を代表するチームの高校生なんだ、と思ったら鳥肌が立ちました。ここに来る、この場に立つのがいかに簡単なことじゃないか。あの瞬間に感じ取ったし、あの場所でしか味わえない感情があった。決勝で中国に勝った時も全身に鳥肌が立っただけじゃなく、初めて、喜びで身体が震えた。あの時の感情を今でも忘れられないし、もう一度あの思いを味わいたい。今もずっと、そう思い続けているんです」

 

「全部決めるし、絶対勝てる」と仲間を信じた最後の春高

もっと強くなる。そしてあの喜びと興奮を味わいたい。そのために技を磨くのはもちろん、高校に戻ってからはウェイトトレーニングにも多くの時間を割いた。トレーナーに出されたメニューを続けるうちに筋肉量が増えて身体は変わり、ジャンプ力は12センチ上がった。

国際試合を経験した1人の選手として、レベルアップしたいという思いはもちろんだが、それ以上に強かったのは共に戦う旭川実業の仲間と、全員が目指す春高でセンターコートに立ち、1つでも多くの試合を戦いたかったからだ。

「最後の年はU18の国際大会とインターハイの時期が重なっていたんです。どちらも出たいけれど、でもその年は北海道開催。先生方や北海道の方々もこの大会に向けて力を尽くしてきたことは知っているし、私も地元での大会で勝ちたかった。でも(監督の)岡本(祐子)先生が『あなたの将来のために、U18に行きなさい』と背中を押してくれたんです。仲間もみんな、『季璃がいなくても頑張ろう』と戦っていたことを知っていたので、最後の春高は絶対に勝ちたかった。センターコートに行きたい、ではなく、心の底から“行ける”と思っていました」

まさに有言実行と言うべきか。エースとして、笠井が獅子奮迅の活躍を見せ、準々決勝ではインターハイで敗れた都市大塩尻をフルセットの末に破り、準決勝進出。止められても拾われても、仲間を信じて打ち続ける。笠井のプレーや、得点した後の笑顔とガッツポーズは観客を魅了した。

「ブロックにかかっても絶対フォローしてくれると信じていたし、特にセッターの井関芹花への信頼は厚かったので、周りには『1センチでも床から上げてくれたら、あとは芹花がカバーしてくれる』と伝えて、芹花には『(ネットの)白帯から上げてくれたらあとは全部私が決めるし、絶対勝てるから』と言いながらプレーしていました」

準決勝は下北沢成徳にストレートで敗れたが、第3セットは24対26まで持ち込んだ。試合を終えると涙する選手もいたが、笠井は前を向いた。そしてすべての力を尽くした北海道の大エースに、大エースを信じてボールをつないだ選手たちを称える、温かな拍手が会場を包んだ。

 

壁に当たる経験も「幸せなこと」

春高を終えても夢はまだ続く。次は世界を目指し、笠井はクインシーズ刈谷への入団を決めた。大舞台での活躍を見た複数のチームや大学から誘いがあったと明かす中、何が決め手になったのか。

「小学生の時に旭川実業を知って、憧れたのと同じように、高校生の私に一番初めに声をかけてくれたのがクインシーズでした。それがすごく嬉しかったし、クインシーズのユニフォームを着る自分の姿が想像できた。ここで勝負したい、と思って決めました」

1年から3年、最大でも3学年の年齢差だった高校時代までとは異なり、チームにはベテラン選手もいれば、高卒や大卒、外国籍で各国代表として活躍した経験も持つ選手もいる。試合出場の機会を得ることは嬉しいが、その都度また、新たな壁に当たる。

どうすれば乗り越えられるのか、と模索する笠井を救ったのは、今季から加入したソフィア・クズネツォワの言葉だった。

「コートに入るのが不安だ、と言った私に対して『私も20歳の時はアウトやネットばかりで怖かった。だけどその経験をしたから今があるんだよ』って。こんなにいつもフルスイングして、タフなソフィアにもそんな時があったんだ、と思ったら、今の自分はすごく幸せだな、って。どんな時も下を向かずに、私もがんばろう、って思えることにも感謝です」

力強く、パワフルなスパイクだけじゃなく、笠井季璃には笑顔が似合う。どれほど壁がそびえ立っても、越えた時に見る景色はきっと、格別で見たことのない絶景が待っているはずだ。