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#8佐藤彩乃 「全力で頑張る姿を見せることで、誰かの力になりたい」

看護師を夢見た少女時代

 幼い頃は、看護師になるのが夢だった。
「身体が弱かったので、入院することも多かったんです。その時に優しくしてくれた看護師さんがすごく素敵で。高校を卒業したら看護学校へ行こうと本気で思っていました」
 誰かを助けたい。誰かを支えたい。その夢は、大人になった今、違う形でつながっている。クインシーズ刈谷へ移籍して2年目のシーズンを戦う佐藤彩乃が、看護師を目指したあの頃と、バレーボール選手として過ごす今。根底にある思いは、どちらも同じだ。

「SVリーグにはすごいエリートがいっぱいいるチームもたくさんあるし、セッターとしても各カテゴリーで結果を残している人や、試合に出続けて結果を残し続けている人もたくさんいる。でも、そうじゃない自分も結果を残せる、頑張れる、と体現することでいろんな人の力にもなれるし、誰かの助けにもなれるかな、って。そういう選手でいられるように頑張りたい、と思うんです」
 大きな瞳をクルクルと動かしながら、さまざまな“あの頃”を楽しそうに語った。

活発な姉とおとなしい妹の姉妹ゲンカは「1人で象が見たい!」

水泳、空手、新体操、ピアノ。さまざまな習い事をしていた少女はとにかく活発だった。
「走るのが大好きで、ベビーカーに乗れば立ち上がる。止まっていられない子どもでした(笑)」
 遊び相手は2歳下の妹。後に同じバレーボール選手となり、今はSVリーグでライバルとして戦う相手でもある淑乃(NECレッドロケッツ川崎)だ。

活発な姉に対し、おとなしい妹はいつも姉の後ろをついてくる。いつも2人で遊んでいるのに、自分の真似ばかりしてくっついてくる妹が時に煩わしく、しょっちゅうケンカをしていた、と笑う。「家族で動物園に行って、私は1人で象を見たいのに、妹もついてくるから『1人で見たいんだから来ないで!』って逃げるけど、妹もついてくる。『何で真似すんの!』ってそこからケンカになる。今考えると、一緒に見ればいいだけじゃないですか。ほんとごめんね、としか言えないです(笑)」

 バレーボールを始めたのは小学3年生の頃。バレーボール好きの母の影響で、1年生になった頃から「バレーボールをやりたい」と言い続けてきたがなかなか叶わず、ようやくスタートしたのが3年生になってから。すぐに夢中になり、クラブの練習が毎日あるのに他の習い事と重なる日はバレーボールへ行けないのが嫌、という理由で他の習い事はすべて辞めた。

 練習は厳しかったが、バレーボールは楽しい。中学でも迷わずバレー部に入り、3年になった時「セッターになりたい」と直訴した。JOC杯に出場する千葉代表メンバーに選ばれたい。自分がもっと成長して、レベルを上げるためにはアタッカーよりもセッターのほうがいい、と考えての決断だったが、その選択が功を奏した。関菜々巳(ブスト・アルシーツィオ)、菊地美結(群馬グリーンウイングス)と共に千葉選抜に選出され、高校は敬愛学園へ。小学校の卒業文集に書いた「春の高校バレーに出場します」という夢を高校2年の時に叶えた。7大会ぶりに出場し、ベスト16。幼い頃の夢の舞台で堂々の活躍を見せたが、今思えば、と佐藤は苦笑いを浮かべる。

「小学生なんだから、もっと夢は大きく“日本代表になる”とか“オリンピックでメダルを獲る”とか書けばよかった(笑)。現実的と言えば現実的なんですけど、でもどこかで、バレーボールを始めた頃から、自分はそんなすごい選手にはなれない、という気持ちもあって。自信がなかったんです」

 バレーボールは高校まで頑張れば十分、と考えていたが、2年時に全国から選手が集まる高校生版のオールスターゲームであるドリームマッチに出場すると、意識が変わった。
「全然自分のレベルは足りていないんですけど、私もここにいていい選手なんだな、と初めて思えたんです。そんな場所に立てること自体を考えもしなかったけど、ここでやっていいんだよ、と評価してくれる人もいる。そういう1つ1つが自信になって、もう1つ上のレベルでバレーボールをしてみたいと自然に考えるようになりました」

 高校卒業後は関東一部リーグの青山学院大へ進学。1年時の全日本インカレで準優勝を経験したが、その後は「これだけ頑張ってきたのにどうしてこの結果になってしまったんだろう、と悔やむことのほうが多かった」と振り返るように、求めた結果を得られたわけではない。だが大学最後の全日本インカレを準々決勝敗退で終えると、新たな感情も芽生えた。
 結果ばかりを追うのではなく、経過を大切に、もっとバレーボールと真剣に向き合いたい。バレーボール選手として生きて行こう。そう決めたのは、大学4年の夏が終わる頃だった。

苦しさを支えてくれた温かな応援

生まれ育った関東を離れ、富山での新生活。2022年4月、佐藤はKUROBEアクアフェアリーズに入団した。雪深さも寒さも、すべて未経験のものばかりだったが、バレーボール選手という職業で生きることを決めた以上、どの環境でも自分がやるだけ。とはいえ大企業を母体とするわけではないKUROBEでは、選手がそれぞれ地域やスポンサーの企業で働きながらバレーボールの練習をして、試合に出場する。リーグ中の移動も常に長距離で、身体的にも過酷な日々ではあっただけでなく、入団2年目のシーズン、キャプテンに就任した。

自身も自分がどれだけチームに貢献できているのかもわからず、リーグでの結果もなかなか伴わない。負けが続くといつも自分に矢印を向けていた。
「どうして勝てないのか。その理由もわからない。うまくいかない時は誰のせいでもないのに、ミーティングで私が意見をまとめられなかったからダメだったのかな、とか、今週の練習はあまりよくないことをわかっていたのに私が何も言えなかったからこうなったんだ、とか。全部自分のせいだと考えてしまうことが多かったし、経験も年齢も私より上の人たちがいる中でキャプテンに選んでもらった以上、とにかく私がやらなきゃ、と自分で自分を追い込んでいました」

追い打ちをかけるように、リーグ戦の最中、24年1月1日に発生した能登半島地震では隣県の富山、黒部地方も大きな揺れを観測し、余震が続く中で試合に臨まなければならないとわかっていても、夜中に強い揺れがあればパニックに陥る選手もいた。「こんな状態じゃ試合など絶対無理だ」と諦めかけたこともあったが、つらく、苦しい時に「頑張ろう」と前を向く力を与えてくれたのが、地元、富山の人たちの応援だった、と回顧する。

「応援してくれる方々はみんなボランティアで、手づくりの横断幕をつくってくれたり、パートで働いているスーパーの一角でイベントをしてくれたり。勝てなくても『一緒に戦おうね』と応援してくれる人たちばかり。ホームゲームでは地元の小学生から高校生までのチアリーディングチームが応援パフォーマンスをしてくれて、その応援にもいつも力をもらっていたんですけど、負けた後、『お疲れさまでした』と言いながら泣いていて。どうしたの? と聞いたら『私たちの応援が足りなくて負けてしまって、ごめんなさい』って。自分たちの応援で本気で勝たせようとしてくれる心が嬉しかった。結果で恩返しすることはできなかったんですけど、温かい応援にいつも支えられていました」

「このチームで日本一になりたい」

応援を力に戦ったKUROBEでの2シーズンを経て、24年、佐藤はクインシーズ刈谷への移籍を決めた。もっとバレーボールに打ち込める場所で、自分を成長させたいと考えたのがひとつの理由だが、もう1つ、クインシーズに惹かれる理由があった。
「それまで対戦相手として見てきた中で、一番熱いのがクインシーズでした。みんなが気迫を出して戦うチームで、バレーが好きな人たちばかりだな、って。自分ももっとバレーを頑張りたい、と思った時に、こういう場所で自分も熱く戦いたい、と思ったことが一番大きかったです」

 試合に出る、出ないに関わらず自分がやるべき努力を惜しまない。そんな環境で切磋琢磨する中、今季は「憧れだった」というセッターのヌットサラ・トムコムもコーチ兼選手として加わった。共にプレーするだけでなくさまざまなアドバイスも受ける日々を「夢みたい」と目を輝かせる。

佐藤の出場時間も増える中、プレーオフ進出、優勝争いに向けて士気は高まるばかりだが、佐藤にはさらにモチベーションを高める別の要素もある。妹、淑乃の存在だ。
 NEC川崎では最優秀新人賞を受賞、日本代表でも世界選手権やネーションズリーグで活躍。女子バレーの顔とも言うべき存在に成長を遂げた妹は、姉としては誇らしいだけでなく、描く目標をどんどん引き上げてくれる、心のよりどころでもある。

「小さい頃からの妹を知っているから、こんなにすごい選手になるなんて思いもしなかった。バレーを始めた頃から振り返っても、正直私のほうが(バレーを)好きで、妹は真似してついてきただけで意欲もそれほど高い子じゃなかったのに、いろんな経験をして、どんどん変わってあそこまで這い上がって行った。自分の力で登っていく姿を私は妹を通して見させてもらえて、1人の選手としてすごく尊敬しているし、私も頑張ったらもっと上に行けるかもしれない、と自分の目標を上げてくれる存在が妹なので、私も私でもっともっと頑張りたい。小さい頃は『ついてこないで』なんて言っていましたけど、今は私が追いかけていますね(笑)」

だからこそ、抱く目標はシンプルだ。
「クインシーズで日本一になりたい。バレーボールが大好きな人たちが集まったこのチームは、セッターとして試合に出続けたいと心から思える場所なので、楽しさも、諦めない気持ちも、アグレッシブさも全部、100%出し切りたい。その姿を見た人たちにとって、何かの力になれたら嬉しいし、そのためにも、私たちは全力で戦い続けたい。たくさんの人たちに、クインシーズの良さ、バレーボールの楽しさを伝えたいです」

 常に全力で。大好きなバレーボールに打ち込む。その姿が、きっと、誰かを助け、誰かの支えになり、誰かの力になるはずだ。

取材・文:田中 夕子